時事通信社の「時事Janet「森羅万華鏡」に掲載された涼恵の記事です。
【ムーサイト】歌手・涼恵に聞く★歌と祈り、アニミズムの発信−涼恵の2010年
10/02/01-14:00
【ムーサイト】歌手・涼恵に聞く
★歌と祈り、アニミズムの発信−涼恵の2010年
■新渡戸稲造とご先祖様
■神主と歌手
■ブルックスさんと「花の祈り」
■9・11テロと阪神大震災
■自然に生かされて
■見直し聞き直しの時代
◇新渡戸稲造とご先祖様
−2010年にあたり、歌手の涼恵(すずえ)さんにお話をうかがいます。涼恵さんは
「うましあしかび」と「このはなさくや」と2枚のアルバムを既に出されています。
涼恵さんはブラジルでお生まれになったそうですが、お父様の仕事の関係ですか。
涼恵 父は当時、商社に勤めていて、ブラジルに赴任していまし
た。私は生まれてから2歳頃までブラジルに住んでいて、その後す
ぐに帰国しました。
−ブラジルのことは何か覚えていらっしゃいますか。
涼恵 記憶としてというよりも、20歳の時に母とブラジルへ
行った際にここ来たことあるとか、何を言っているか言葉が分かる
というか、場所のにおいをかいだことがある気がしました。
−ブラジルはポルトガル語ですね。それは音として入ってくるの
でしょうか。
涼恵 そうです。ポルトガル語はあいさつぐらいしか話せないのですが、音として入っ
てくるので覚えやすいです。
−お父様は日本に戻って神職になられたそうですが、それはなぜですか。
涼恵 私の先祖に新渡戸稲造がおり、稲造おじい様のお兄様(七郎氏)の代からの代々
守っている神社があります。
新渡戸稲造はもともと稲之助という名前でした。新渡戸家は青森県の十和田市の三本木
というところが出身です。地名の由来は、もともと三本の木しか生えないようだったとこ
ろを、稲造おじい様の傳(つとう)おじい様が開拓をしたのです。奥入瀬川から稲生川と
いう川を引いてきて、それがきっかけで稲が実るようになった年に初めて生まれた子ども
だったので、稲造という名前が付けられました。
稲が実るようになったら、そこに守り神としてお稲荷さんを建てようということにな
り、ずっと守ってきたのです。しかし、代替りして私の祖父の代の時に、その稲荷を新渡
戸家が見ていないということに気付き、誰も神職をやっていないのはご先祖様に申し訳な
いから、今からでも遅くないので神職をうちの子孫から出していかなければならないので
はないかという親族会議が行われ、その時に父が選ばれたのです。
先代の宮司さんの跡取りがいらっしゃらないということで、どなたかいい方がいらっ
しゃらないかと探していたところ、うちの父に話が回ってきまして、神戸に行くことを決
意しました。
2歳でブラジルから帰ってきた時、最初は東京に戻りました。父もいきなり神戸に行く
ことが決まったのではなく、その神社が決まるまでの間、青森市の諏訪神社に奉職してお
り、私が小学校1年生の時に神戸に行きました。
◇神主と歌手
−その後は涼恵さんも神主さんの資格を取ったということですが。
涼恵 神職に就こうと考えたのは、純粋に父の手伝いをしたかったからです。巫女とし
ては、小学生のころから姉と二人で手伝ってきましたが、18歳の時に女性でも神主にな
れることを知りました。大宮の氷川神社で神職している従兄がうちの神社の手伝いに来た
時に、神主の仕事は大変だから手伝える人がいるといい、と話したことがきっかけになり
ました。もともと私は神様のお側にいることがすごく好きだったのです。清々しくなると
いうか、心が落ち着くし、喜ぶのです。だったらもっと勉強をしてみたいと思いました。
歌うようになったのは、私がもともと歌が好きで、何だかうまく言えない感情が音楽に
なって、テープレコーダーに録音したりしていたこともありますが、母が「すずはそうい
うふうに表現をするのが好きだ。例えば、歌を歌うことやお芝居をすることは、空へ向
かって上に伸びていく感じだけど、神主の勉強というのは、どちらかと言うと下に向かっ
て根っ子を育むこと。根が育つと絶対に葉も育つから、すずにとって神主さんの勉強をす
るということは歌にとっても、表現することにとってもいい影響がある」と言われて、も
のすごく勉強したいと思いました。
−お母様は巫女や神主というわけではないのですか。
涼恵 そういうわけではないのですが、感受性の鋭い人です。
−もともと歌い手にはなろうと思っていたのですか。
涼恵 なりたいとは思っていましたが、私はどちらかと言うとシャイだったので、表現
をすることが好きなのに相手とかかわることが恐いという気持ちがありました。しかし歌
手になりたいとかそういう次元ではなく、人間としての幹が太くなったというか「伝えた
いこと」が明確になったので、その手段として私には歌があると思いました。
◇ブルックスさんと「花の祈り」
−歌手としてデビューしたのはいつですか。
涼恵 初めて発表した作品は2002年の「うましあしかび」です。これまで出したC
Dは、アルバムが2枚とシングルが1枚です。そのほかにも限定でほかの方に楽曲を提供
した曲を歌ったアルバムが2枚あります。
−2002年は9・11米同時多発テロの翌年ですね。
涼恵 「うましあしかび」を出したころ、ウィリアム・ブルックスさん(元・アメリカ
大使館職員)と知り合いになりました。
そのブルックスさんが「花の祈り」という曲に詞を付けてくれることとなったのは、
「うましあしかび」を聴いて下さったある方が、「花の祈り」をとても気に入ってくださ
り、そこに英語の詞を付けることになったのがきっかけです。
また、新渡戸稲造の『武士道』が英語で出版されていることもあり、周りの方から英語
を使って作品を発表するということをやらなければいけないことだろうと言われ、アドバ
イスをしたからには適任を紹介するということで、お知り合いになりました。
−「うましあしかび」の10曲目に「花の祈り」が入っていて、「このはなさくや」の
8曲目に「Prayer of the flowers」という曲として英語詞を付けているのがブルックスさん
ですね。
涼恵 9・11米同時多発テロのニュース画面を見ていて「今なら今ならまだ間に合う
から」という言葉が出てきました。英語で言うと「Even now even now」です。そのた
め、曲を先に作って歌詞を載せたわけではないのです。
イントロ部分は琴で、それからピアノです。「いーまーならー」と、声も1オクターブ
半上がります。旋律がそうなのです。
−歌い方も含め、今のいわゆるニューミュージック系の曲とは随分違う印象を受けまし
た。しかし、すごく現代的には聴こえますが、こういう曲としてこのような歌い方をして
いるのかと思いました。
涼恵 どうでしょうか。この曲に関しては、特に最初にいろいろ決めずに、本当に衝動
のままにつくり、歌いました。歌っているときに、自分がただの媒体になって、何かの祈
りかもしれないし、叫びかもしれないし、悲鳴かもしれない、何かよく分からないけれ
ど、強い力で訴えかけるものがありました。
−魂を鎮めるといった思いがあったのですか。
涼恵 時にはそういう感情もあると思います。しかし私は「Prayer of the flowers」を歌
うときに、一つの感情や何かを代表して表現するというよりは、空を見ている地球をイ
メージしました。そこから見える映像は、人が亡くなるビジョン(では)だけではなく、
その場所に生えていた木や土や花、自然も同時に傷つけて命も奪うようなものでした。
◇9・11テロと阪神大震災
−歌うときに描くビジョンとしては、地球上で歌っているというよりも、地球の外から
地球を見て歌っているという感じなのでしょうか。
涼恵 外からではなく地球に包まれている感じはするので、内側から見ているビジョン
です。
−歌に込められているものはそれぞれ違うと思いますが、メッセージとしては何を発信
しようとして歌っていますか。
涼恵 命に対する感謝、奇跡などです。自然も自分も、生きとし生けるものすべては繋
がっているので、自分だけではないエネルギーに突き動かされて歌い、曲を作ります。
−9・11米同時多発テロはどこで知りましたか。
涼恵 神戸にいるときにテレビで見ました。
−見た時はどのような感じでしたか。
涼恵 その前日に不思議な夢を見ました。すごくいろいろな光が煙と共に覆われて、そ
の光は温かいというよりもサイレンのように切り裂き、破壊してしまうような鋭い光でし
た。すごく嫌な感じを持ったのは確かです。
−それは何かの予兆だったのでしょうかね。
涼恵 阪神・淡路大震災の時も同じような経験をしました。
−1995年1月17日の阪神・淡路大震災の時はどういうものだったのですか。
涼恵 その時は夢だけではなく、前日に不思議な満月も見ました。ものすごく不思議
な、無言の圧力がある満月でした。
翌日の18日、19日はうちの神社で、厄神祭という一番忙しいお祭りがあり、そのた
め、幟を神社の周りに立てるのです。でも、その日は風も強くないのに幟が何本か倒れて
いて、全部立て直しました。その時に空を見上げたら月がすごく近くて、これは何だと思
いました。それは危険な感じのものというよりは、押し潰されるような感じの無言の圧力
がありました。
−地震の時は家にいましたか。
涼恵 家にいました。本当に怖かったです。これほど自分が小さな生き物だと思いまし
た。私は当時、姉と一つの部屋をタンスで区切っていたのですが、そのタンスが全部姉の
方に倒れてしまいました。幸いにして私は無傷ですぐに動けたのですが、姉を助けに行こ
うとして、姉の顔以外全部にタンスが倒れている映像を見て、震えて動けなくなってしま
いました。タンスがちょうど身体を空けていてくれていたように重なっていたので、姉は
奇跡的に無傷でした。
−神社だから土地としては少し広かったと思われますが。
涼恵 そうです。家族は社務所にいましたが、うちの神社(小野八幡神社)以外の建物
はすべてペシャンコになっていました。神社は神戸市の海側にあり、地盤が柔らかいので
ほかのビルはすべて倒れていました。鳥居も倒れていましたが、家は何とか残っていまし
た。
◇自然に生かされて
−震災の経験が自分の生き方や人生観に大きな影響を与えましたか。
涼恵 自然に生かされているという思いが強くなりました。それから人が土壇場で出る
慈愛というか、性善説を強く信じるようになりました。
例えば、本当に知恵を分け合わないと明日生き残れないかもしれないとなった時に、パ
ンが一つ残っているとします。そこで、その渦中にいる人たちは、そのパンを自分一人で
食べてお腹いっぱいになって、今日一日生き残ってもどうしようもないので、何人かで分
け合って、皆で知恵を振り絞って、手を取り合って支え合って生き残ることが現実的な対
策になるのです。人間は自分一人がお腹いっぱいになっても本当に何もできないことを悟
ります。一人ではとても小さい存在なのです。
それから、人間の儚さを悟りました。あの震災で人間がつくった建物は倒れてしまって
いても、木はほとんど倒れていなかったのです。その木を見て「何てすごいのだろう」と
何度と話し掛けたことか。私も震災を倒れずに生きた木のように、しなやかに根を張りた
いと思いました。自然からの恵みがたくさんあることに大きな影響を受けました。
−グラウンドゼロの跡地に行って、どのような印象を持ましたか。
涼恵 2006年の2月に行きました。今思えば、それも無言の
圧力でした。訪れたのは昼間でしたが、すごく静かでした。すでに
金網が張ってあり、鉄の十字架だけが印象に残りました。
−「Prayer of the flowers」を歌ったのも同じ年ですか。
涼恵 06年の9月11日にユニオンスクエアパークで行われた
ユニティーウォークのオープニングソングとして、ガンジー像の前
で「Prayer of the flowers」を歌いました。その日の朝早くには、グ
ラウンドゼロの目の前のセントポールズチャペルで平和の鐘を鳴ら
しました。いろいろな宗教、宗派の人が集まったのですが、その神
道代表として出席させて頂きました。場所は教会が提供してくれ
て、イスラム教の方を含めどんな宗派の人も受け入れてくれました。
◇見直し聞き直しの時代
−カーネギーホールでも歌ったということですが。
涼恵 07年の1月に「Suzue Nitobe Recital ∼KOTODAMA∼」としてやらせて
頂きました。世界宗教者平和会議(WCRP)とご縁があり、私も何か貢献したいと思い
ました。
−今、国際的にはかなり激動の時代で、今までの秩序が新しい秩序に変わる転換期で
す。そういう世界情勢やご自身のこれまでの活動を踏まえて、今後は歌を通じて何を発信
していきたいか、2010年の抱負をお聞かせください。
涼恵 今年は「アニミズム」を発信していきたいです。私の音楽は、「ワールドミュー
ジック」では何か少し違うし、「神道」と限定するのもまた違う。これは何だ、とよく言
われていましたが、私の中で最近明確になってきたのが「アニミズム」です。それを今年
は特に出していきたいです。
アニミズムには、先祖崇拝という意味もありますが、精霊崇拝や目に見えない気配や存
在、さらに目に見えるものに対しても、八百万の神と言って手を合わせるようなものがあ
ると思います。英語の「animism」と、私が感覚で口を突いて出る「アニミズム」が完全
に合致しているかと言うと、多少違う部分はあるのかもしれません。しかし分かりやすい
言葉として一番に挙げられるのは「アニミズム」です。
−涼恵さんのおっしゃる「アミニズム」とは生命の根源のようなものでしょうか。
涼恵 そうです。 歌と祈りというのは、日本だとおおげさに思われてしまうけれど、実
はすごく原始的なことなのではないかなと思います。
−歌と祈りは根源的に一緒の根っ子にあったものかもしれませんね。
涼恵 つき詰めるとそういう気がします。特に、2012年は古事記編纂1300年、
13年は式年遷宮(正遷宮)だったり、社会的な背景での宗教感や神道感は強すぎたり、
味付けが濃くなっていると言われているような、ちょうど時代的にも、見直し聞き直しが
必要な時期に入っていると思います。
それで12年、13年に真価を問うではないけれど、自分の目と足で見て、多分濃く
なってくると思いますし、情報ももっと増えていると思うので、そこで皆が感じたもので
また何か生まれるものがあるかもしれません。あまりつくり過ぎない方がいいと思いま
す。
ただ能動的なものではあるので、教義、経典、教祖がいないものは発する側のセンスも
大事だけど、感じ取る側にもセンスが必要だと思います。人によって、いかようにでも解
釈ができてしまうものだからこそ危険な部分もあるし、利用される部分もあるかもしれま
せん。しかし、本当はすごくピュアなものも同時にあります。私もそこはまだまだ勉強中
でもっと勉強していきたいですし、教わりたいこともたくさんあります。
−昨年はロシアにも行かれましたが。
涼恵 芸術交流の一環で、ウラジオストク・ビエンナーレの開会式に参加しました。こ
のような文化活動は今後も続けて行きたいです。
私は「アニミズム」のような考え方が、現代の社会において必要とされていると思いま
す。「アミニズム」は日本だと難しく考えられて、構えられてしまうこともありますが、
海外ではニュートラルにとらえてくれることの方が多いです。そういう背景から言って、
私が歌ってきた音楽は、間接的な形よりは、ライブで直接聴いて頂く機会を増やして反応
も頂き、育てていきたいと思います。
(聞き手=解説委員 鈴木美勝/撮影=写真部 小倉健史、インタビューは2009年12月22日)
時事通信社「時事Janet「森羅万華鏡」より」
涼恵WEBサイト「花の祈り」TOP